長宗我部盛親【3】信親の最期!戸次川の戦い

ゆりか






長宗我部盛親【3】
信親の最期!戸次川の戦い



仙石隊は、ほぼ瞬時に粉砕され、続く十河隊は踏みとどまるも全滅した。

島津の新納忠元隊は、次の目標を長宗我部隊3000に定めるが、
信親の指揮で、頑強に抵抗した土佐勢は一歩も怯まない。

「怯むな!鉄砲を伏せ、引きつけてから放て!!」

信親は4尺3寸(約130㎝)の長刀を振るい、獅子奮迅の働きをみせる。
兵数は互角だったが、信親の猛反撃を受けた新納隊はついには押し返された。

が、長宗我部隊の善戦もそこまでだ。
仙石隊らを破った島津本隊が雪崩のように押し寄せ、信親隊と元親隊を分断したのである。

信親の姿が見えなくなり、元親は狼狽した。

「ええい!何をしておるのか!信親……信親はどこだ!?
わしのことは構わずともよい!信親を決して討ち取らせるでないぞ!!」

長宗我部の家臣らは、元親に暇乞いをしてから、決死の覚悟で信親のもとへ向かった。
気付けば、元親の供回りは、わずか21名のみ。

「我が運命もこれまでか。信親…お前だけは生き延びて、長宗我部家を頼む」

覚悟を決めた元親は、馬を降りて刀を抜き敵陣に切り込もうとするも、供回りが必死に制止した。

そうしているうちに、一度は走り去った馬が再び戻ってきたので
「これぞ家運尽きざる証です」
と、無理やり元親を馬に乗せる。

桑名弥次兵衛が敵中突破を果たして、元親を無事に落ち延びさせることに成功した。






一方、敵中に孤立した信親は…

700まで減った兵をまとめて、最後の戦いを挑もうとしていた。
家臣の1人が撤退も勧めるも、これをきっぱりと拒む。

「逃げることはたやすい。
だが、仙石殿の指図とはいえ、軍令に背いた上、この見苦しき敗戦。
秀吉様の前でどう申し開きせよと言うのだ。私はここを踏みとどまり、忠義を示す!」

家臣は「信親様…よくぞ申された!我らも死出の御供仕る!!」と立ち上がる。
涙ながらに「我も我も」と、兵らは次々に叫んだ。

信親は、力強く頷きながらこう思った。

(私がここで逃げれば、長宗我部を潰す格好の材料にされてしまう。
だが、私が最後まで踏みとどまり討死を遂げれば、秀吉は長宗我部の忠節を認めざるをえない。
御家のため、私の役目は今ここで死ぬことにあるのだ)

信親隊700は、一丸となって3倍の兵数の新納隊へと決死の突撃をする。
乱戦の最中、信親は長刀を振り回し、次々に敵をなぎ倒した。

信親は、平均身長が160㎝を下回る当時にあって、
【男の器量、身の丈六尺一寸(約185㎝)】
【走り飛びに二間(約3m60㎝)を飛び越え、飛びながら抜刀することができた】
という驚異の身体能力を持ち、【色白く柔和にして】と伝わる稀なる美丈夫だった。

その信親の、阿修羅のような戦ぶりに誰もが目を奪われる。
敵指揮官の新納忠元は「あれこそ大将・長宗我部信親だ!皆の者、討ち取れ!!」と叫んだ。

敵に囲まれた信親は、馬を斬られて激しく地面に叩きつけられる。
あわやトドメを刺されそうになる所を「信親様を討たせるものか!」と、次々に家臣らが立ち塞がり、身代わりとなって死んでいった。

そんな家臣らの姿に、信親は不死鳥のごとく起き上がり、多数の敵を討ち取る。

その凄まじい戦いぶりを、のちに明治の文豪・森鴎外が現地を取材して詩に残した。
要約すると以下の通りである。

『中にも大将・信親は、四尺三寸の長刀を、閃く稲妻石撃つ火と、見まごう迄に打ちふるい、
乗りたる愛馬が倒れければ、徒立となり、長刀を棄て、太刀を抜き放って戦う』

全身血だらけになっても決して倒れない。
そんな信親の姿に、島津軍は恐れおののいた。

が、多勢に無勢。

斬っても斬っても次々と新手が襲いかかり、ついに満身創痍の信親は討ち取られた。
信親の家臣らも、主君の後を追うように一兵も残らず戸次川に散る。

戦いが終わり、島津兵が戦場を点検すると、
信親の亡骸を中心に、多くの長宗我部兵が折り重なって死んでいる姿がそこにあった。

まるで、死後も信親を守ろうとするかのように。






一方、無事に落ち延びた元親は、信親の安否が気が気ではなかった。

やがて信親討死の報が届くと、衝撃のあまり元親はその場に崩れ落ちる。
その様子は【東西暮れたる心地して(東も西もわからなくなって)】という有様だった。

やがて、口を開くと…

「後生だ。信親の亡骸を島津より貰い請けて欲しい。
信親と一緒でなければ…わしは、わしは土佐へは帰れぬ」

そう絞り出すような声でつぶやく。

元親の願いを叶えたい。

家臣の谷忠兵衛は、殺されるのを覚悟で新納忠元の陣を訪れ
「信親様の亡骸を返してくれ」と頼んだ。
すると…

「信親殿の戦ぶりは称賛すべきものであり、これぞ武門の誉れと評判であります。
立派に戦った勇士に対し、本来であれば、こちらから亡骸をお返しすべきところを、まことに面目次第もございませぬ」

と、信親の戦ぶりに感銘を受けた島津軍は、二つ返事でこれを了承する。


信親の亡骸と対面した谷忠兵衛は、その変わり果てた姿に、ただただ涙した。
元親からは「亡骸はそのままに。最後に一目、信親の顔を見せてくれ」
と言われていたが、とても見せることは出来ないと判断した。

「信親様のこの無惨なお姿を見たら、元親様は狂われてしまうやもしれぬ。
たとえご勘気をこうむろうとも、ここで信親様を荼毘にふそう」

谷忠兵衛は、信親の遺骨と、遺品である太刀と甲冑を携えて元親のもとへ戻り、
それを目にした元親は、身を震わせ人目を憚らずに遺骨を抱いて号泣した。

「信親…信親…!」

信親の遺品は、持ち主の無惨な亡骸が想像できるほど酷く損壊していたのだ。

太刀は鍔元から切っ先まで刃こぼれでボロボロになっており、原形をとどめておらず。
甲冑は、槍・矢・太刀の傷が無数にあり、袖も草摺も千切れている。
勇敢に戦い抜いた信親の最期に、誰もが胸を切り裂かれるような思いだった。

元親は、見るに堪えないほど憔悴する。

四国統一の夢は霧散し、残された信親という希望までも失った。
夢と希望をなくした男の心は、信親と共にこの日、死んだも同然であった。



なお、敗戦に激怒した秀吉は、仙石秀久を追放処分とするが、
最期まで踏みとどまって討死した信親を【比類なき忠節である】と称賛する。

御家を潰すどころか、嫡男を亡くした元親を不憫に思って、大隈一国を与えようとした。

しかし元親は
「私は褒美を与えられるような手柄は何もありませぬ」
と、ただただ信親を失ったことを嘆き悲しむのだった。

もはや、かつて四国を席捲した英傑はどこにも存在しなかった。










スポンサーサイト



Posted byゆりか

Comments 0

There are no comments yet.