高松凌雲【9】幕末・衝鋒隊(2)

ゆりか

第1話  幕末のスーパードクター
第2話  将軍御典医
第3話  戊辰戦争
第4話  病に敵味方なし
第5話  病院襲撃と降伏勧告
第6話  賊徒の医師
第7話  兄・古屋佐久左衛門



第9話 幕末・衝峰隊(2)





「そういう経緯で、兄は衝鋒隊の総督になったのか…。梶原殿、話を続けてくれ」

はい。江戸を出発した後。

2か月の間に、梁田・飯山・川浦で3回の戦闘が行われ、いずれも虚をつかれて敗れましたが…
不思議なもので、衝鋒隊は敗れるごとに人員・兵器に多大な打撃を蒙るも、いつの間にか復活して次の戦場へと赴くのです。
川浦の夜襲では、3分の1も離散した兵が、数日後には続々と戻って参りました。

新政府軍に阻まれ、当初の目的の信州へ行くことは叶わずも…
その後は、陣容を整え直して、再び越後各地で友軍とともに転戦していきました。

河合継之助殿が率いる長岡城の攻防に参戦。
会津では、女子ながら勇敢な働きをする『娘子隊』とも共闘いたし。
そして榎本艦隊に乗って蝦夷地へわたり、最後まで戦い抜いたのです。

戊辰の戦で、衝鋒隊ほど数多くの戦場を駆け巡った部隊が他にいたか?

多くの戦経験を積み、
『一に衝鋒、二に桑名、三に佐川の朱雀隊、四に兼用五月の葵の花が咲く』
と、その強さが俗謡に歌われるほどでした。

士気は倍々旺盛で少しも衰えることなく、
上下相一致してその親密は、あたかも一の家庭のごとく、隊中一人として怨恨を漏らす者はありませんでした。

「そうだな。衝鋒隊の名声は評判だった。
江戸を出発してから15か月の間。
東軍諸部隊の中でも、これほど長期に渡って数多くの戦闘を経験したのは衝鋒隊をおいてないだろう。

それだけ犠牲者も多かったようだが…
いつの場合も不死鳥のごとく蘇り、常時400名以上の兵力を保ち続けた。
その兵力数においても、東軍中随一の存在だった」

思うに、他の部隊は他藩人を受け入れない。
それとは対照的に、衝鋒隊は、誰でも歓迎する気安さがあったのではないかと…

元々、俺のようなヤクザ者が多い脱走兵をまとめるのも大変だったでしょうに。
出身も身分もバラバラな混成部隊を率いる古屋総督のご苦労といったら、並大抵のものではありません。

それだけ器の大きな御人だった。

副隊長の今井信郎殿は剣の達人で、豪傑と呼ぶにふさわしい方でしたが…
榎本総裁の命には従わないのに、古屋総督の言うことには素直に頷くのですからな。

衝鋒隊が、強固な団結をもって最後まで崩れなかった最大の理由。
それは、古屋総督への信頼でしょう。

蝦夷地へ赴く前。
もはや勝利の可能性は低く、兵士らを死地に伴うのは忍びないと思われたのか…
古屋総督は、衝鋒隊の解散を宣言しました。

『今や我が軍、武運つたなくして戦い利あらず。
諸士が粉骨砕身の努力も効果なくして、ついに今日の悲境に陥るのは深く遺憾とするところだが、将軍においても、恭順をむねとする場合なれば、諸士の責任は十分に尽くされたことと信じる。
この上は、子々孫々の栄を計ってくれ!』

しかし、衝鋒隊の兵士たちは、この期に及んでは最後まで行動を共にすると言って断固聞かず。
古屋総督は、仕方なく傷病兵のみを残し、衝鋒隊を率いて蝦夷地の戦場へと赴いたのです。

「…………兄が被弾した時の様子は、どうであったか?」

はい。あれは、降伏する6日前でしたか。
もはや戦況は絶望的となり、古屋総督は隊員を集めて、こうおっしゃいました。

『今夜、衝鋒隊をもって、決死の箱館奪回の夜襲を敢行する!
もし成功せざれば再び生きて還ることはない!!』

と、決死の覚悟を決め、最後に酒を酌み交わしていた最中。

敵の飛弾が座中に落ちて、俺の目の前で古屋総督は重傷を負い…
あの時、俺が代わりに弾に当たっていれば!と、今も悔やんでなりません。

古屋総督には、この明治の世にこそ活躍して欲しかった。














古屋佐久左衛門の遺髪と摘出した砲弾の破片は、のちに下僕・亀吉の手によって、妻の元に届けられる。

父の無念の死を語る亀吉の側で、幼い息子は能を舞った。
それは、出陣する前に父が踊っていたのを覚えていたものだった。

明治2年5月16日 古屋佐久左衛門 死去(一説に6月14日とも)

のちに、彼を描いた物語は語る。

「存命なら間違いなく、軍人か英文学者として大成していただろう」




その声の 残る雲井や ほととぎす
(遊撃隊・杉山文之丞が古屋佐久左衛門の死を偲んで作った句)








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Posted byゆりか

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