高松凌雲【8】幕末・衝鋒隊(1)

ゆりか

第1話  幕末のスーパードクター
第2話  将軍御典医
第3話  戊辰戦争
第4話  病に敵味方なし
第5話  病院襲撃と降伏勧告
第6話  賊徒の医師
第7話  兄・古屋佐久左衛門
 



第8話 幕末・衝鋒隊(1)



慶応4年正月。

鳥羽・伏見の戦いに敗れた幕府軍は江戸へ逃げ帰り、幕兵の脱走も相次いだ。
その中に、然るべき統率者もなく、暴動を起こす部隊が現れた。

幕軍の第11・第12連隊。
大坂付近の志願者で編成され、やくざ者や農兵中心の寄せ集め部隊だった。

この暴動を煽動したのが、小頭の藤吉こと、前回の語り部である梶原雄之助。
衝鋒隊の幹部として、のちに古屋佐久左衛門の右腕となる男である。


この報せを、旗本・松波権之丞から受けた古屋佐久左衛門は驚愕した。

「馬鹿な…第12連隊といえば、窪田殿が率いていた部隊ではないか!」

窪田泉太郎は、古屋佐久左衛門のかつての上司である。
『英国歩兵操典』の翻訳出版の後援者で、大恩人というべき人物だったが…
鳥羽伏見に戦いで幕軍第12連隊を率いて奮戦し、無念の戦死を遂げてしまったのだ。

「しかも、第11・12連隊は、俺がかつて小栗様に建言した部隊…」

幕府は、従来の刀槍の戦闘訓練から、鉄砲の訓練方式に変更しようとした。

だが、士分の者は、銃を担っての訓練を潔しとしないので、勘定奉行・小栗上野介の発案で、傭兵制度にして兵を募り、西洋組織の軍隊を編成したのである。

これを先の長州征伐に使った所、代々禄を食んだ武士部隊よりも遥かに好成績であった。
そのため、以後は傭兵組織の軍隊を養成し、これが第11・12連隊だった。

『梁田戦蹟史』には
【古屋佐久左衛門、農兵を徴集して洋式の訓練を施し、以て時勢に備へんことを謀る】
とあり、この傭兵制度を小栗に建言したのは古屋佐久左衛門の可能性もある。

「俺がかつて建言し、窪田殿が率いた部隊が、脱走して狼藉を働くなど…面目が立たぬ!」

と、古屋佐久左衛門は松波権之丞を介して、勝海舟に脱走兵鎮撫の任を願い出た。

これも曰くがある。
勝海舟は、佐久左衛門を徹底抗戦派の危険人物と見なしていた。
多くの門人を抱える彼が動き出す前に、江戸から離れた地へ追いやろうという企んだのだ。

『佐幕派史談』は
【勝海舟は、松波権之丞を使い、古屋佐久左衛門をして自発的に取鎮出張を願い出るように仕向けた】
と語るが、もはや真相は闇の中…

洋式陸軍の先駆者である古屋を失い、後になって勝は大いに悔やんだという。






正式に鎮撫権限を与えられた古屋佐久左衛門は、脱走兵の後を追った。

「脱走兵をまとめる、藤吉殿にお会いしたい!」

と、単身乗り込み、説得にあたる。

「俺が藤吉だが、何しにきた?!連れ戻しに来たのか!
歩兵罰則によれば、屯所を脱走した者は遠島、上官を殺害した者は獄門、盗みを働いた者は死罪。
全部やらかした俺らは、アンタの口車に乗った途端に、首と胴が離れるって寸法だ。

それがわかっていて、誰が素直に従うものか!!
戻ったところで、不甲斐ない幕府なんぞ当てにならん。
戦いもせず狭い兵舎に閉じ込められ、食事も満足に与えられず、約束した俸給の支給さえない!
このうえは会津に行って戦い抜いてやる!!」

「それは申し訳ないことをした。
約束を反故にされ、貴殿らの怒りも当然のこと。会津で戦おうとする志も感服するところだ。
未払いの給金は私が責任をもって用意する。脱走兵の処罰も、寛大なものになるよう取り計らおう」

「はっ、誰が口約束など信用するものか!
それなら今すぐ、千両箱でも持ってきてもらおうか!!」

「あいわかった」

古屋佐久左衛門は頷く。
この地の代官に掛け合って千両を借りるや、すぐさま藤吉の元に戻って千両箱を渡した。

「さあ、約束の千両箱だ。ここから未払いの俸給をとって、皆に与えてくれ」

「アンタ……いや、古屋様。本当に約束を守って頂けるとは…
しかも、ろくに護衛もつけずに乗り込んでくるとは見上げた根性だ。

………わかりました。古屋様なら信用できる。

隊の中で幕府への不満が溜まり、脱走を煽動したのはこの俺です。
皆の俸給が約束通りに支払われるなら、俺の面目も立つ。
この首と引き換えに、どうか他の連中のことは大目に見てやってくれませんか」

元より、脱走の際に上官を殺害し煽動した藤吉は、斬首は免れるはずもない…
しかし、古屋佐久左衛門は一計を案じる。

(この男の脱走兵における人望はなかなかのものだ。
特別な身分でもなく、四百人以上にのぼる脱走兵を従わせるなど並大抵の器量ではない。
今後、脱走兵を取りまとめる上で、欠かすことのできない人物だろう)

そして、こう申し渡すのだった。

「首魁の藤吉は、さきほど斬首となり、その首はすでに晒してある」

「はぁ?何を寝ぼけたことを…藤吉はこの俺だ!
ほら、しっかり首と胴は繋がっているじゃありませんか」

「いいや、お前は藤吉ではない。今日より梶原雄之助と名乗れ。
先ほど、近村で強盗を働いて斬首となった者がいるが、よく調べてみるとそれが藤吉だったのだ。
いいか、わかったな?」

「……古屋様、あなたという方は」

藤吉こと梶原雄之助は、この後、佐久左衛門と常に行動を共する。
その死に際しては「俺が代わりに死ねば良かった」と嘆くほど心服していた。

衝鋒隊の隊士が、佐久左衛門と藤吉をこう評している。

『藤吉という男は、非常に乱暴者で、
身体一面に刺青のある、一寸見ても恐ろしい様な奴でした。
隊長の骨の折れた事と言ったら容易な業ではないが、隊長はこれもうまく役立てました』

明治の世では、山岡鉄舟の周旋で梶原から石山と改名し、宮内省の立派な人物になったという。






こうして脱走部隊の鎮撫に成功した古屋佐久左衛門は、江戸にもどり事の次第を復命した。

この頃、15代将軍・徳川慶喜は江戸城を出て謹慎。
朝廷の親征の詔により、討幕軍は続々と関東に進軍していた。

そんな中、佐久左衛門は、
『すみやかに義兵を挙げ、君側の悪を誅し、名分を正せ!』
と、朝廷を牛耳る薩長の非を慣らす檄文を飛ばす。

これに勝海舟は、彼をますます危険分子と見たのか、こう命じた。

「古屋さんには、第6連隊の歩兵600人も加えて、信州を収めに行ってもらおうか。
幕府直轄領24万石のお墨付きだ。大砲や軍資金も与えよう」

勝海舟にすれば、江戸無血開城を成し遂げるためにも、過激の徒は江戸から追い払いたい。

古屋佐久左衛門にしても、徹底抗戦するには、一人でも多くの兵力を欲し、兵器・食糧の兵站確保は必要だった。

信州24万石の金穀を得て、ここを根拠に奥羽諸藩と気脈を通じて、討幕軍を迎え撃つ腹積もりだ。
こうして古屋佐久左衛門は、3月1日、江戸を出発する。

総勢900人余にも及ぶ、幕軍きっての大部隊『衝鋒隊』が誕生した瞬間だった。










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Posted byゆりか

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